アドレス日本一周 west[186]
投稿日:2013年6月13日
県下屈指の名勝地
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越前岬からはさらに日本海沿いの国道305号を行く。海岸スレスレにアドレスを走らせる。国道305号は絶好のシーサイドライン。そして三里浜へ。この一帯は日本一のラッキョウの産地になっている。
三里浜は東西12キロほどの砂丘地帯で、この地域の約8割の農家がラッキョウを栽培しているという。10月中旬から11月にかけてが花の季節で、ちょうどラッキョウの赤紫色の花が三里浜の砂地一面に咲いていた。地味な色の花だ。
ラッキョウはユリ科に属する多年草の草木で、オオニラとかサトニラともいわれる。原産地は中国およびヒマラヤ地方で、日本に伝播した時期ははっきりしていないが、江戸時代にはすでに栽培されていたようだ。
ここ三里浜一帯にラッキョウ栽培が定着するまでにはおおくの困難があった。
江戸時代、九頭竜川河口の三国港は日本海航路の千石船の出入りする港としておおいに栄えたが、九頭竜川をはさんだ対岸の三里浜一帯は日本海から吹きつけてくる強風のために田畑は砂に埋まり、村人たちは他の村に逃げていくほどだったという。
そのような惨状を目にした敦賀の唯願寺の住職大道(1768年〜1840年)は防砂に取り組み、最初にネムの木を植えて砂地を落ちつかせ、次にマツやシイを植えて風を防ぎ、人が住めるようにし、徐々に耕地をふやしていった。まさに「砂丘に緑を!」だ。
明治初期になると天蚕糸の行商人がラッキョウを持ち込み、その栽培がはじまったという。三里浜の砂地はラッキョウに合い、栽培面積は年ごとに増えていった。それを三国の商人が買い集め、京阪神市場で売りさばいた。大正年間になると、販路はさらに広がり、東京市場にも進出し、三里浜一帯は一躍、日本一のラッキョウの産地になった。
この地方のラッキョウは一年掘りをしない。
一年掘りのラッキョウは粒が大きくなり、やわらかくなるが、三里浜のように二年掘り、もしくは三年掘りするラッキョウは分けつするので粒が小さくなり、コリコリッとした歯ごたえで固くなる。それが越前名物の「花らっきょう」なのである。
三里浜からは新保橋で九頭竜川を渡り、三国の町に入っていく。
九頭竜川の河口が三国港になっている。
三国港は江戸時代には千石船の北前船の出入りする港としておおいに栄えたといったが、その繁栄は明治初期までつづいた。今でも三国には、当時の栄華を偲ばせるような町並みが残っている。
北前船の航路は日本海経由の西廻り航路のことだが、当時の日本にとっては太平洋経由の東廻り航路よりも、日本海経由の西廻り航路の方がはるかに重要な航路になっていた。
北前船は瀬戸内海を拠点にして日本海を北上していくものと、日本海の港を拠点にして南下し、瀬戸内海に向かっていくものがあった。
春の3月ごろには、北の船が下ってきた。そして瀬戸内海の三原や尾道、牛窓といった港、さらには終点の大坂(大阪)で積み荷を売りさばき、北へと帰っていった。風運のいいときには、秋の9月、10月にもう一度、大坂に向かい、翌春に北の海に戻った。
瀬戸内海から出る船は、4月の春風を利用して日本海を北上し、秋風のたつころに下ってきた。年に一往復というのが、だいたいふつうの航海だったようだ。
北前船の航路は北は深浦や十三湊、鰺ヶ沢といった津軽の港から、さらには蝦夷の松前まで延びていた。北前船は北国のニシンやサケ、コンブなどの海産物や羽州や北陸の米などを大坂に運び、大坂や瀬戸内からは木綿や砂糖、塩、酒などを北国に運んだ。
三国にはそんな北前船の資料館がある。
三国からは名勝の東尋坊へ。輝石安山岩の柱状節理が日本海の荒波によって切り立った海食崖になり、高さは25メートルにも達する。断崖の先端に立って日本海をのぞきこむと怖くなるほど。ここは福井県でも屈指の観光地で、断崖へとつづく道の両側にはみやげ物店がずらりと並んでいる。店先には解禁になったばかりのズワイガニが箱で売られていた。そのほか若狭ガレイの一夜干しや小鯛のささ漬け、魚の糠漬けが目についた。それともうひとつ、三国特産の「花らっきょう」も目についた。ここでは食堂に入り、「カニうどん」(700円)を食べた。
東尋坊から芦原温泉へ。福井県では最大の温泉地で、全部で70軒以上の温泉旅館、ホテルがある。温泉街の中央には日帰り湯の「セントピアあわら」(入浴料500円)。近代美術館を思わせるような洒落た建物に入ると、展示コーナーになっている。「温泉とは何か?」といったパネルや日照りだった明治16年、新たな井戸を掘ると、湯が湧きだしたという芦原温泉の起源を紹介するパネルなどが展示されている。
「天の湯」と「地の湯」があって、水曜日ごとに男湯と女湯が入れ替わる。この日は「地の湯」が男湯になっていた。ふんだんに木を使った湯船は、高温の湯と低温の湯に仕切られ、打たせ湯や寝湯、蒸し風呂などもある。銭湯とユートピアを掛け合わせての「セントピア」なのだろうが、温泉天国そのものといったところだった。
湯から上がると国道305号で福井県と石川県の県境に向かった。